M田の日記

M田の日常と1/3の純情な感情を綴る日記

『Material』



即物的に物事を捉えたら、

至って簡単に辿り着いてしまうような答えを


どうしてまた

いつの時代も僕らは、

主観で事実を捻じ曲げ、そこに少しの希望的観測を交えながらも淡い期待を捨てられずに現実をいいように着色していくのだろう。


もう底が見えそうな真実を

もう抗いようのない真実を


そんなはずないなんて焦って惑って、

自分の都合のいいように現実を捻じ曲げて、

それでもそれはもう淡い期待だったなんてそんなの根底ではわかってるくせに。



ふと立ち止まって、人生の意味について考えると

なんで人は、生まれて死ぬのか。


結局死ぬくせになんで生きるのか。



今自分が欲しいもの、

叶えたい夢、

理想としてる未来、


それらを手に入れたところで結局死んでしまう。

全て無に帰すことになる。


だとしたら何故、こんなにも今現在生きている私たちは目的を持って、目標を持って、 生きているんだろう。



何か目的や使命があって、それを果たすために生きている。

だとか、

神に生かされてるから生きてる。

だとか、スピリチュアリズムで語る人もいれば、

人生に意味なんてない。

だとか、

ただなんの意味もなく生まれたから生きて、ただなんの意味もなく命が尽きるから死ぬだけなんだとか。

そういう即物的なものでしか見ない人とか。




欲望も葛藤も

自身の中で混ざり合って

保身も妥協も

自身の中絡まり合って


夢見て走って転んで嘆いて

それでも進めるのは何かをそこに

辿り着いた先に期待するからだ

希望的観測の中で闇雲な

ただただ闇雲な道中を


真実ってなんだろう

目に見えてないだけのものかもしれないのに

偽りってなんだろう

自身が信じて疑わないだけのものかもしれないのに

そこを推し量る差異は何だ?

判断する材料は誰だ?

善と悪とその2つでしか見てはいけないなら他のものはどうして存在してるのか

どうしてその物事は意味を以っていて

どうしてその事柄は起こるのか

そこにはやっぱり即物的な物理的な物事では推し量れない人間の心というもの自体が存在するからだろう


いい悪いだけで判断してはいけない

いい悪いだけでは決して判断してはいけないんだ


僕のものであってもいけないし

誰かのものであってもいけない



いけないんだ。